最終話「お茶漬け食べたい」




どーも、旅ブロガーのひゅーいです☆

いつもは世界の食文化から経済情勢まで
様々なジャンルを書いていますが、
今回はちょっと脱線して私が出会った日本人について書きたいと思います☆

例えばアンコールワットのあるカンボジアのシュムリアップには
2件の日本人宿があります。
そこには多くの日本人が宿泊し、
夕食時には知らない人同士が相席し気付くと立派な飲み会になってたりします☆
また、宿には掲示板があり、
遠くの遺跡に行きたい人なんかはそこで同行者を募り
5、6人でトゥクゥクをシェアして行くわけです。
1人で旅に出ている旅人としてはこういったコミュニティがあるのは非常に嬉しいですよね。


で、まぁご存知の通り僕はそういう場には一切いられない根暗オンザ根暗で、
宿の前を通りながら、
オイ、そいつ君の身体が目的なだけだぞ、気を許すなよ。
なんてクソみたいなことをぶつぶつ言っているのでそういう出会いは皆無なんですが、
その中でも偶然出会ってしまった、
どうしようもない日本人(失礼^^;)たちを紹介させていただければと思います☆


ベトナムで出会ったBくん(同い年)。
たまたま同じホテルで宿泊していてひょんなことから話すようになりました。
32分の1アメリカの血が流れているが
調べたところそれはもうただの日本人という彼はこんな旅をしていました。

以前ベトナムに来た時、
南北をバイクで横断したそうなのですが、
その道中でとあるベトナム一家と仲良くなったのだそうです。
バイクでひたすら走っていると空き地でバレーをしている子どもたちが。
例にならって(旅人は現地の子供とやたら一緒にスポーツをする。)仲間に加えてもらい、
日が暮れるまで共に汗を流したそうです。
そろそろお開きですかなというところでそこにいた女の子が言いました。

今日どこに泊まるの?

いや決めてないよ。野宿かな。
(やべぇ忘れてた。)

じゃあ私のお父さんと勝負して勝ったらうちに泊めてあげる!

そして彼女は走り出し、
5分ほどすると父親であろうただのおっさんの手を引っ張って戻ってきました。
おっさんはBさんを見定めるかのように一瞥し、こくんと頷きました。
挑戦状を受け取ったわけです。
しかしおっさんはほんとにただのおっさんだったので
もうBくんの圧勝たるや凄まじいもので子どもたちもひたすら爆笑だったようです。
(ちなみに勝負の内容は1対1のバレー)
そうしてBくんは無事おっさんの家に泊まり、
翌朝女の子から連絡先をもらい、
必ず連絡するよ。
と爽やかな握手をして、
バイク旅のゴールを迎えたところで連絡先を落としたことに気が付いたのでした。

ここで僕は
バカじゃねーの。
と言いかけましたが
彼の切なげな顔を見てとてもじゃないけどそうとは言えず
鈍臭いねと言いました。

彼は途方に暮れました。
なぜなら約束していたのです。
必ず連絡すると。
けれどもいくら探しても連絡先は見つかりません。

そこで彼は、
もういい、直接また家に出向こう。
そしたらきっとわかってくれる。
そうして今回またベトナムにやってきたわけです。

…しかし、現実はとても無情なものでした。
無事その家に出向くことはできました。
そして女の子に何度も頭を下げましたが
なんということでしょう。
彼女はニコりとも笑ってくれません。
思えば彼女は14歳、思春期真っ盛りです。
思春期の傷ついた心を癒すのは容易いことではありません。
結局、おっさんとのバレーにひたすら付き合わされたあげく、
彼女の笑顔を見ることができないまま、別れを告げてきたそうです。

僕は、肩を落としてそんな話をするBくんに
知るか。と言いかける自分を堪えるのに精一杯でした。
おまけにそんなこんなで所持金が底をつきて
明後日までこのペットボトルの水しか食料がないんだよね。
と潤んだ目をしてほざく彼にバインミー(サンドウィッチ)をおごらされました。

ちなみに彼は元俳優さんで某芸人(浜○ゃん)の奥さんに
うるせーババァ!と言ったことがあるそうです(演技でね)。


お次はプノンペン-カンボジア間のバスで出会ったSさん(おっさん)。
シュムリアップへ向かうバスの座席が隣同士になり一目で日本人だとわかりました。
僕は読書に勤しんでいたので、
頼むから話しかけてくんなよ。
と心の底から祈っていたのですが、
Sさんは一切空気を読まず、
あ、日本の方ですか?どうもどうも。
なんつって話しかけてきました。

話してみると、
一時は生活保護を受けるほどの貧困に喘いでいたが、
たまたまやった株がドカンと当たって東南アジアでは一生暮らしていけるようになり、
わけもわからないまま
ひょんなことから日本の企業と東南アジア間の使者みたいなことをしているそうです。

シュムリアップに食べ放題の焼肉屋があるんですが、良かったら今晩如何です?
なんて言ってくれて、
正直フルーツばかり食べるのも飽きていたしと、
奢られる気満々で付いて行ったのですが、
自分で焼くのではなくすでに焼かれた肉が、しかも一種類だけ食べ放題という始末で、
さらに割りカンでした。
この人と長くお付き合いをして絶対いつか得しようと思ったのでした。


お次はアユタヤで出会ったAさん(女性)。
その日の夕方、僕はWi-fiがよく繋がるフロントで
モーニング娘。’14のMVを観ながらダラダラ過ごしていました。
するとチェックインの手続きをしている東洋人が。
しかしイヤホンを付けていた僕は外界の音が聞こえなかったため
何人なのか判断できず、
気にせずまたMVを観ていたのでした。

10分ほど経った頃でしょうか。
日本語が話せるスタッフがこちらを見て手招きしています。
イヤホンを外すと
チョットキテー!ネーネーキテー!
とか言っていて、
隣で先ほどの女性が困った顔をしています。

話を聞いてみると、
中心地から少し離れた遺跡がオススメでぜひ行ってほしいけれど、
夕方を過ぎるとその周辺の治安があまりよくないとのこと。
でもやっぱりその遺跡はオススメだからアンタ一緒に行ってあげなさいよ。
とのことでした。

いや朝行けよ。
とはもちろん思ったのですが、
何かと世話を焼いてくれるスタッフに、
初対面の女性にそんなこと言えるはずがありません。

そうして僕は2日ほど、彼女の遺跡巡りに付き合わされることになったのでした。

彼女については
割と絶望的な半生だったので伏せますが、
彼女が放つ悲壮感っぷりはそりゃもう勘弁してよという感じでした。

しかも10分に1度は
あーあ、今頃同世代の人たちはけっこう良いとこ泊まってタイマッサージでもしてるのかなぁ。
屋台のご飯なんて食べないんだろうな…
という自虐を始めたり
こんな自分を変えたいって思うけど、
この年になるともう変われないのかなって…
などとネガティブ発言を突然繰り出すのです。

そのたび、
あははーもう終わってますよねー。
と背中を押したり
そりゃもう変われませんわ。
諦めましょう。
と導いてあげたりとそれはそれは大変でした。

福岡に来たら美味しいもの食べさせてあげるけん。
と言ってくれたことだけは絶対に忘れません。
いつか必ず押し掛けます。
あなたがどのような状況であれ、です。


そして名前も覚えてないけれど兄さんと呼んでいる人。
バンコクでのある夜、
早めに夕食を済ませ
ベットでゴロゴロと相変わらずモーニング娘。’14の動画を観ていました。
すると視界でなにやら動くものが。
目をやるとはす向かいのベットで東洋人が僕に向けて手をあげています。
昨晩はいなかったはずですから今日チェックインし、
何かわからないことがあるのでしょう。
イヤホンを外し笑みかけると、
日本人の方ですか?
と声をかけてきました。

そうですよ。
(用件言えよ。)

バンコクは長いんですか?

いや昨日着いたばかりです。
(はよ用件言わんかい。)

そうなんですか。旅は長いんですか?

まぁコレコレこんな感じです。
(こいつもしや…)

へぇ、いいですねぇ。
僕はコレコレこんな感じです。

そうですか。
(コイツこっちの状況ぶった切って世間話始めよった…)

兄さんとは
そんな風に冗談はよしてくれ的な出会いでした。

ちなみに彼は20台後半、
2年くらい引きこもりながら転売業をしていたけれど、
このたび晴れて社会復帰をするかと思いきや
大規模な国外逃亡をし世界一周の旅を始めたところという
筋金入りのダメッダメな人です。

しかしながらなんでか彼とはウマが合ってしまい、
結局バンコクで2日間、
別ルートで辿り着いたルアンパバーンでも3日間、
行動を共にすることになったのです。
そしてなぜか年下の僕がタメ口きいて、
兄さんは〜ッスカ。みたいな謎の関係性でした。

ルアンパバーンでは
一度社会に出たものの考古学に目覚め勉強し直し早稲田大学に合格し、
勝つか負けるか2択というギリギリの環境に身を置く、
頭良いけどバカの1つ年下のY君とも出会い、
ここに来てようやく行動を共にする楽しさと面倒臭さを覚えたのでした。


さて、
今回なぜ彼らの悪口を懇々と書いたのかと申しますと、
この旅で僕が痩せることができなかった原因は確実に彼らにあるからです。

1人きりでの食事では、
お昼にはフルーツを食べ、
夕食は屋台での少量という非常に簡素なものだったのですが、
彼らといればもちろん変わってきます。
やれ焼肉だ、
やれタイスキだ、
やれ日本人経営の店だなどと、
容赦なく誘惑をし、僕を連れ回すのです。
特に兄さんに関しては引きこもりのくせにお酒大好きなのです。
それに付き合って飲んでしまえばいくら日中動き回りサウナで汗を流しても
プラスマイナス0でしょう。
いや、下手したらプラスです。

僕が帰国して、
うわ、ほんとに痩せてないじゃん(笑)
と言われた時のためにその原因をここに記そうと思ったのです。




そして、
いよいよ今夜の便で僕は日本へと帰国します。

この短期連載、
「旅ブロガーひゅーいのHave a good trip☆」も今回でお別れです。
次回よりこれまでの
「音楽バカひゅーいのNo Music No Life♪」に戻ります(^^)

今回の東南アジア旅により、
・南京虫さえいなけりゃどんなベットでも眠れる
・ハエがたかってるのは美味しい証拠
・便座がない洋式便所だってあるんだね
・待ち時間3時間なんて短いほうだよね
というところまで自分を持っていくことができました。
しかしながらもう旅に出ることは二度とないでしょう。
お金持ちになって良いホテルで寝たいっす(爆)

ただ、
兄さんは神経質で不眠症で鬱病で、
2年間ほどは家族くらいとしか会話がなく
毎日どうやって死のうかばかり考えていたそうですが、
旅に出たら全部治ったみたいっすよ。

いや実は鈍感なだけなんじゃねーの(笑)
とか言って僕はバカにしてましたが
彼の目はマジだったので本当なのでしょう。

確かにそういった要素は東南アジアにはあるのかもしれません。
学生以外で1人旅をしている人は
だいたいどうしようもないく上手く適応できない人ばかりなので
(僕が出会った人はね。しかも長期の人ほど)
あなたもどうしようもなくなった際は思い切って日本を脱出してみて下さい。


それじゃみなさん、
明日も…Have a good trip☆




ひゅーいさんフェイスブックやりましょうよー。

そうそうやればいいのに。

いやーけっこう言われるけどやらんやろうなー。
ブログあるし。面倒くさそうやし。

いや絶対やったほうがいいですって!
海外に友達いるなら必須っすよ!

うん、僕も友達0で始めて旅に出たらもう66人もいるからね。

いやや。

「いやや」て…
もうこの人何言ってもだめっすね…

あの中国人女子ともフェイスブックで気軽にやりとりできますよ!

中国はフェイスブックできねーもん。

あ…

まぁ友達検索できんようにしたり
友達かも?みたいに出てこんようにできるならアレやけど。

そうだ!
新たにアドレス作ればいいじゃん!

そ、そうっすよ!
それなら絶対出てきませんよ!

あー…まぁ3年後くらいを目指して考えてみますわ。

あぁ…




写真、
英語が全く話せず結局どこの誰かもわからないまま
このキメ顏をして去ってったどっかの誰か。





すぐに会えるかな?/小沢健二

中国人女子(美人)に一目惚れをされ歓喜の声をあげる、の巻。







僕は今ラオスのルアンパバーンという街にいる。
3日後の3/2に出発して3/3の朝、日本に帰る。


アユタヤに3日ほど滞在して寝台列車でラオスへ向かうことにした。
列車の時間が夜の9時半だったからチェックアウトを済ましてからもダラダラとホテルにいて、
ホテルのスタッフ達の昼食会に招いてもらったり
日本人の旦那さんがいる妊婦のスタッフさんと日本的な子供の名前を考えたり、
遺跡を眺めているよりもずっと有意義な時間を過ごした。

6時頃ホテルを出て渡り舟で川を渡り駅へと向かう。
小さな駅の構内では同じく列車を待っているのであろう旅人たちが
椅子に寝転がったり地べたに座ったり
思い思いの格好で疲れきっている。
僕は構内へは入らず入り口の5段くらいの階段に腰掛けた。
初めはトゥクトゥクのおっさん達から客引きをされるが、
列車を待っていると知ると今度は世間話が始まる。

アユタヤはどうだった、日本はやっぱりトヨタか、
タイの女の子は可愛いか、日本の女の子は可愛いか、
通りがかった顔見知りのタイマフィアを呼んだり、
携帯で無修正のAVを見せてきたりと、
暇な僕をずいぶんと楽しませてくれた。
そして列車がくるたびに、
じゃあまたな!
と客引きのために走り出して、
1人として捕まえられず結局みんなしてトボトボと戻ってくる。

そんなことをしながらふと視線をずらすと、
迎えの車を待っているのであろう、少し年配の女性がいた。
目が合うと、にこりと笑って話しかけてきた。
タイ語だったからよくわからなかったけど
当てずっぽうでラオスに行くと伝えたら正解だったそうで、
そうかという風に笑ってくれた。
中の椅子に座ってなさいと言ってくれたけど
あの疲れきった集団の中に潜り込むのは余計疲れるだろうなと思い
丁重にお断りしたとことで彼女の迎えの車がやってきた。

別れを告げてまたトゥクトゥクのおっさん達と下ネタでも話そうかとしていると
今度は女性の旦那さんが車から降りてこちらにやってきた。
そしてまさかとは思ったがカタコトの日本語で話しかけてきた。

日本人?

うん、日本人。

どこから来たの?

岐阜ってとこ。

岐阜かー。

おっさん日本語上手いね。

わたしは15年前3ヶ月だけ日本にいたよ。

へぇ、仕事?

そうだよ、栃木の東芝。

そうなんや、3ヶ月にしてはすげー日本語上手いじゃん。

全然だよ、下手だよ。でもわたし日本好き。
でも一番好きなのは奥さん。

あ、そ。
うん、奥さん美人やね。

タイで一番良い女だよ僕の奥さん。
(奥さん日本語がわからずポカンとしている。)

あはは、良かったじゃん。

それ、あなたのギター?

そう。ベトナムで買った。

聴かせて聴かせて。日本の歌。

なんて言うから、
ベタに上を向いて歩こうを聴かせてみせると
じ、実は私もちょっとギター弾ける…
と言ってタイのおそらく歌謡曲を演奏してくれた。
(バイクタクシーのおっさんが切ない顔してたからたぶん歌謡曲)

結局列車までの3時間相手をしてくれるどころか
近くの屋台でビールまでごちそうしてくれて、
ホクホクで列車に揺られることができた。

旅人はズルいなぁと思う。
旅に出てるくせに余裕のあるお金はないんだから。
観光客がお金落とさずしてどうすんのと思いつつも気付くと値切っているし、
何か恩返ししたくても術を持ってないんだな。
日本に遊びにきてよなんて言っても、
彼らが日本へ来られないことくらいわかってる。
まったく嫌になる。



絶望的な列車の揺れに耐えながらなんとか寝て、
朝7時頃ようやくタイとラオスの国境の街に着いた。
歩いて国境へと行きあっけなく出入国を済ませ首都ビエンチャンへ。

ここで2泊ほどしてバスでバンビエンへと向かった。
バンビエンは半日もかからず歩いて回れるほどの小さな街で、
多くの旅行者が川遊びをしにやってくる。
そこからハイエースみたいなミニバスでさらに北上し、
ここルアンパバーンへとやってきた。

道中、約6時間延々と山道を左右に揺られながら走る。
山腹には村と呼ぶにはかなり規模の小さい集落がいくつかあり、
道端では犬、猫、豚、牛、ニワトリが昼寝をしたり食事をし、
その横で子供が走り回ったり、
村人がわき水で水浴びをしていた。


そして今は、
ここのところ毎日通っている薬草サウナから帰ってきたところ。
このサウナは1.5畳くらいの広さしかなく、
6人座れば満室のところに
立ちを含め強引に12人とか入るので違う意味の汗もたくさんかく。
日中はなるべく出歩いて体を動かしているし、
屋台での夕食では野菜ばかり食べている。
間食なんてほとんどしてない。
それなのになぜだろう、結局痩せない。



そしてここ4日連続で悪夢を見ている。
今朝起きると同室の日本語が話せる欧米人に、
あのさ、寝言すごいよ!
僕は話しかけられてるのかと思ったよ!
と興奮気味になぜか嬉しそうに言われた。





シャララ/つじあやの(サザンオールスターズ)


道を歩いてる。







朝8時にはちゃんと目が覚める。

朝食に前日買ったリンゴをかじり
自転車をレンタルして涼しいうちに遺跡を回る。
バンコクから少し北上したところにあるここアユタヤはとても小さい街で自転車があればどこへでも行ける。

お昼になると屋台の120円のラーメンを食べて一旦ホテルに戻り、
休憩しながら日本語が話せるスタッフのおばさんとぺちゃくちゃお喋りをする。

午後2時にもなると日差しが強くとっても暑いから
出歩く人は極端に少なくなる。

ベトナムで買った安物の小さなフォークギターを持って近くの公園に行き、
木陰で涼んでいるお兄ちゃんに笑われながら汗だくでうたを歌う。
ギターを売ってた商売上手のおばちゃんと取っ組み合い寸前になるまで激しい交渉をしたけど、
買って良かったなと思う。
(最後は、私の息子が汗水垂らして作ったギターなのに…みたいなことを言われて負けた。)

日が暮れてくるとまたブラブラと出歩き屋台でやっぱりラーメンを食べて
今日はナイトマーケットでみかんを1kg買って帰った。
オカンからのお土産リクエスト、各国のTシャツも買えた。
ちなみに他の人へのお土産のことを完全に忘れていてちょっと困っている。

明日もたぶんこんな風に過ごして明後日ようやく最後の旅先、ラオスへと向かう。
夜の21時に出発して寝台列車に揺られ朝7時半頃着くらしい。


日本を出てもうすぐ1ヶ月になる。

ご飯を食べている時、
移動中や眠る前、
僕はいつもモーニング娘’15のことばかり考えている。

道重さんが脱退してこれからどうなるのだということだ。

鞘師は焦らずあと2、3年はエースとして自分を磨かなければいけないだろう。
はたして彼女は耐えられるのだろうか。
生田もだ。
今のままじゃなく、
変化、もとい進化しなければならない。
譜久村は現メンバーをしっかりまとめられるのだろうか。
鈴木は無事完全復活できるのか。
そして彼女は世界進出への切り札だ。
第10期、11期達は今のところはこの状態で良いだろう。
もちろん進化は必要だが、
キャラは十分立っているし焦らず磨いていけばよい。
12期の存在は非常に重要だ。
彼女たちが育たないことには話にならない。
モーニング娘’15の平均年齢を考えると、
つんく♂は数年後を見越してこの編成にしたのだろう。
ただの若いアイドルにしておくわけがない。

全盛期、
あの黄金時代に追いつき、さらに追い越すには彼女たち自身の自力がなければならない。
歌詞を読む度、
よ、よくこんなこと歌わせるな…
ムゴいやろちょっと…
とかなんとか思うが、あれは彼女たちへの愛情なのだ。

帰国したらいよいよファンクラブに入ってしまおうかなと考えている。
彼女達にちゃんとお金を落とさねばみたいなことを考えてしまうのである。
激アツのロックライブに行こうと前田(RAMBLAR)を騙して、
一緒に彼女たちのコンサートにも行きたい。
さっきはYOUTUBEのハロプロ激動の3年史という動画のモー娘のとこだけ観て泣いてしまった。

あとは夏目三久さんのこともたくさん考えているが、
これは9割想像、及び妄想なので伏せておく。


とにかく今の僕はこんな感じだ。

タイはビールが高いので水ばかり飲んでいる。
それなのに相変わらず痩せない。
このまま帰国してしまったら僕はきっと
もうこれ体質じゃんと諦めてしまうだろう。


どこにいたって悩みはつきないもんだね。
と寺院でお祈りしながら心の中で呟いていると、
グループ旅行で来ているのであろう、
日本の若い男女の楽しそうな声が聞こえてイラッとした。
お前ら開放的な気分になってセックスすんなよ。
絶対すんなよ。
おい一番可愛いミニスカ履いてる女の子、
そいつら君の体目的だから気を許すなよ。

マジで。





遠く遠くトーク/空気公団(荒井良二)


うたた寝しても日は暮れる。






ケツの痛みに耐えられず思わず声を上げた。

おんぼろ自転車のサドルがとてつもなく固く、
それで炎天下の中ひたすら自転車を漕いでいた。
道の出っ張りを越える度、
ジャリ道を走る度、ケツに鈍痛が走る。


その日は朝から神と王の都、かのアンコールワットに来ていた。
朝焼けを拝もうとしたものの思い切り寝坊して、
それでも9時には6キロの道のりを自転車で駆け抜け、
遺跡をひとつひとつ回って見学をした。

予想に反して遺跡間の距離が長い。
他の観光客はツアーで来ていたからバス移動か、
数人でトゥクトゥクを使っていた。

こんな風に自転車で回るのは僕のような貧乏旅行者くらいだ。

朝の爽やかな風もあっけなく止んだ午後、
うだるような暑さとケツの痛み、
いつまで経っても着かない遺跡間の距離に苦しみながら、
それでも次の遺跡に辿り着くと心は弾み
遺跡の説明が書かれた本を片手に楽しんでいた。


そうしているうちに夕方にさしかかってきて、
朝焼けを逃したんだからせめて夕焼けを、
と遺跡群の中でも一番人気のサンセットスポットに向かってまたも汗だくでペダルを漕いでいた。


アンコールワットは水堀に囲まれており、
その向こうにある名スポットの遺跡に向かって
ぐるっと回り込むように進んでいた。
池のほとりでは家族や友人連れ達がお弁当を食べたりお酒を飲んだり居眠りをしている。


ふと前方に目をやると小道が遺跡と思わしき方向に伸びている。
あれ?と困惑した。
はたしてこの道を入っていくべきなのだろうか、
それとも遥か向こうにあるあの小道を入るのではあるまいか。


池のほうを見ると若い2人組がビールとつまみで小さな宴会をしながら
時折こちらの様子を伺っていた。

一度自転車から降りてしまうと
再度サドルに座った時の鈍痛にまた驚いてしまうのではないかと心配ではあったが、
仕方がない、
若いなら簡単な英語くらいならできるだろうと道を尋ねることにした。


2人も笑顔で応じてくれ、
僕と同じく知ってる単語を並べるくらいしかできなかったが
丁寧に目指す遺跡への道のりを教えてくれた。

礼を言って立ち去ろうとすると
日本人と話す機会が珍しいのか
ただ陽気な奴らというだけなのか、
ビール飲んでく?
と悪魔の囁きのような誘惑をしてきた。

汗がまとわりついた身体は
いつでも眠れますと言わんばかりにクタクタに疲れきっている。
喉はカラカラで小腹も空いてきたところだった。

しかし僕には夕焼けを眺めてみんなみたいに
黄昏たり物思いに耽ったりするという使命がある。
そのためにはあと2キロほどペダルを漕いで
遺跡に辿り着かなければならない。

けれども目の前には先ほど買ってきたばかりであろう冷えたビールがある。
中国各地のビール、
1番人気の青島ビール、
ベトナムのサイゴンビール、
その他諸々…
色々と飲んだが実は東南アジア(中国)のビールは苦手だった。
欧米はさておき、
普段飲んでいるビールと他国のビール、
どちらがスタンダードな味なのかは知らないけれど
日本のビールに慣れているからかどうも美味しいとは感じられなかった。

しかし、
カンボジアが誇るこのAngkor Beerだけはとてつもなく美味しく感じたのだ。

そのアンコールビールがほんの目と鼻の先にあるではないか…


5秒後、
ありがとう。
でも夕焼けが見たいからもう行くよ。
と言いながら、ビールのフタを盛大に開け放っている私がいたのである。


話してみるとやはり年も近くて話しやすい陽気な奴らだった。
永遠に彼女ができる気しない。
と嘆きながらも楽しい毎日をこうして送っているようだった。

途中、ビールが無くなると
売店に行ってつまみと共に買ってきてくれる。
いや俺も払うよ、と財布を出すと。
バカ言うなよ!奢るって!
と言って最後まで受け取ってくれなかった。

お互いに英語が堪能じゃないから
伝えようとしても単語がわからず詰まる。
そうすると誤魔化すようにケラケラと笑いだす。
釣られてみんなで笑い出しとりあえず乾杯をする。
それを幾度となく繰り返す、
ひどくお粗末な宴会ではあったけれど
僕は非常に心地よい時間に感じられた。


結局ビールを5.6缶ほどご馳走になり
とっくに日は暮れて辺りは暗くなっていた。

また会おうねと握手を交わし彼らを見送ると、
夕焼けなんかどうでもよくなり、
フラフラとまた、ケツの痛みと戦いながらホテルへと戻った。


いやでもチケットも3日券買ったし
せっかくだから朝焼けくらいは見たいな。
よし!
明日は4時半に起きて朝焼け見てくる!
と、ホテルのスタッフに豪語してベッドに潜ったものの、
次に目を開けるとすっかり日は昇りきり、
時計を見ると時刻はすでに8時を過ぎていた。

朝食を食べに降りていくと、
朝焼け見るんじゃねーのかよ!
とスタッフ達にゲラゲラ笑われた。

いやてめーらの粗末なバレーの試合見に連れてくから寝るの遅くなったんじゃねーか!
と日本語で言うと
変わらずゲラゲラ笑いながら
AJINOMOTOー!
とかなんとか言っていた。


カンボジアは
半分くらいは仕事があって、
予想に反して滞在が延びたけれど、
長くいて良かったな。




リンゴやマンゴー、その他フルーツを
昼食や晩御飯の代わりに食べていますが
ビビるくらい痩せません。

そして先ほどタイはバンコクに着きました。
バスで7時間と言われていましたが10時間かかりました。





もえつきたいのよ/キノコホテル


「あの素晴らしき世界」にならぬように。







ベトナムからカンボジアへと抜けるバスの中。

このバスにはwi-fiが飛んでいて、
国境はさっきあっけなく越えてあとは着くのを待つだけだから暇つぶしにYOUTUBEで遊んでいた。


不意にジョーイラモーン(RAMONES)が
ルイ・アームストロングのこの素晴らしき世界をカバーしていることを知り、
PVを覗き込んだ。

彼女の住む部屋に窓から彼氏が入ってくる。
彼女はキスをして迎え入れ、一緒になってソファーに腰掛ける。
彼氏がおもむろにカバンからビデオを取り出しデッキに押し込むと
ジョーイのこの素晴らしき世界のPVが流れ出し、
それを観ながら2人が狂ったように踊るというもの。


僕が今過ごしている毎日からくるものなのか、
偶然にもこの曲がベトナム戦争を嘆き平和を願って書かれたものだからなのか、
それともそんなの関係ないのか、
皆目見当もつかないけれど
それを観ていたらなぜだか涙が溢れ出してしまった。


PVを眺めていた彼女が
ふと彼氏の視線に気付き振り向き、
互いに微笑んでセックスを始めるところで曲が終わる。
その時になって気付いたけれど
なんと僕はもう号泣していたのだ。

隣で本を読んでいた欧米人が
おいおいどうした?大丈夫か?
と声をかけてきた。
ジョーイラモーンのこの素晴らしき世界を初めて聴いたんだと答えると、
彼は、じゃあ仕方ないなと笑っていた。



ベトナムではほとんどフォー(温かい素麺みたいなの)ばかり食べていたけれど
一向に痩せません。



2ヶ国目のカンボジアの旅が始まる。





What a Wonderful World/Joey Ramone


ひゅーい、わざわざぼったくられに行くの巻




帰郷があとわずかに迫った12月某日、
突然思い立って決めました。

明日、1/20から3/3までの1ヶ月半、
短い期間ですが東南アジアに旅に出ます。
国外逃亡です。

僕は転職とかってのがきっとないから、
長期で外の世界を見られるなんてこのタイミングしかないしと思い
気が変わらぬうちに航空券だけ先に取って決めてしまいました。

と言っても
気が付いたら半分くらいはお仕事の要素も出てきてしまったので、
行く理由を付けやすいんですよね。
あはは。

スケジュールは特には決めていないけれど、
順路は
ベトナム→カンボジア→タイ→ラオス
というコースで回ってきます。

もちろんお金なんて無いから
1泊500円6人一部屋みたいな宿を点々としながら
ありがたいことに東南アジア物価が超安いので
50円くらいのビールを飲みながら
寝台列車に13時間とか揺られながら暮らしていくことになりそうです。

生きて帰ってこれる保証はあんましないけど
生きて帰ってこれるよう頑張ります。

幸い、昨年の中国出張の帰りの
成田からの電車で知り合ったベトナム人が、
まじかよ!!
仕事抜け出して空港迎えに行くぜ!
週末は観光に連れてくぜ!!
とかなんとか言ってくれてるので
1カ国目のライフラインは確保できています。

というか
来る3/7は姉ちゃんの結婚式なので、
オカンに殺されないよう意地でも帰ってきたいです。


これ以上井の中でぐだぐだと鳴かないために
知ったぶって声を荒げぬために
知るために
知らなくてもいいやと思うために
もう一度ちゃんと地べたに足をくっつけるために
見聞を広め、
良いことも悪いことも感じて
新たな音楽を作ってこれたらいいなと思います。
その前にまず活動再開の手だてを探せよとも思います。
なんにしてもそれは戻ってからですね。


ネットの環境がよくわからないのであれですが、
ブログとか書けそうだったら書きますね。
あとあんまし人には言ってないので(忘れてた)、
行方不明説出てたらお伝え願います。


趙神経質でビビりで虫が大嫌いで
これまで海外に行こうなんて微塵も思わなかった僕が
2週間ばかし中国に行った程度で
全然行けるじゃん!
余裕じゃん!
なんて半端無く甘い考えで旅立とうとしています。

どうかコテンパンに打ちのめされろ、
と願うばかりであります。


さらばニッポン、もしくはまたね!




どうして旅に出なかったんだ/友部正人


あなたの優しさを僕は忘れないでしょう。




昨日、引越しを終えて無事東京を脱出してきた。
なんともあっけなく、
部屋の鍵をポンと渡して今生の別れをしてきた。
いや来世も住むつもりは毛頭ない。

前田、ノリト(RAMBLAR)としんのすけ(THRASH OUT)が
レンタカーで東名をぶっ飛ばして手伝いに来てくれた。
(こう書くとあいつらが優しいみたいやけど、僕が強引に来させたから違うよ)

最後の夜、
よく通った銭湯にみんなで行った。
感傷に浸る間もなくいつもしてるような中身のない話を
お湯に浸かりながらケラケラ笑って話した。
相変わらず露天風呂から見上げるそらは真四角でなぜだか安心した。


公園の用具入れに将棋盤を隠して、
いつも遊んでいたじいさん達は元気だろうか。
毎朝僕の横を駆け抜けて通勤していたお姉さん、
ここのところ見なかったけど早起きできるようになったんだろうか。
ラーメン屋のバイトのおっさんは麺場を任せてもらえるようになるのだろうか。
仕事で行った恵比寿のキャバクラの、
地元が同じだったキャバ嬢はちゃんと貢いでもらえてるだろうか。
正月明けて戻ったら最寄りのコンビニが潰れていたけど、
バイトしていた高校生くらいの女の子は次のバイト見つかったかな。
おっぱいを当ててくれた歯科助手のお姉さんは無事に出産できるかな。
海老蔵の奥さんの小林真央を見て興奮してた歯医者の先生は元気かな。
会社の前のファミマのイケメン店員さんが彼女できないといいな。
桐島里菜さん(元タレント)にも永瀬麻帆ちゃん(元アイドル)にも、
とうとう会えなかった。
夏目三久さん(女子アナ)にも麻倉憂さん(AV女優)にも天海つばささん(AV女優)にも
小西真奈美さん(女優)にも道重さゆみさん(元モー娘。)にも松本まりかさん(女優)にも
高島彩さん(人妻)にも齊藤夢愛さん(グラドル)にもだ。
とうとう会えなかった。
近所にいた野良子猫たちよ、どうかすくすく育っておくれ。
あの娘よ、どうか元気でいてほしい。



さよならじゃなくてまたね、
じゃねーよ!

これでチャンチャン!
終わりだよー。
さよなら!





お世話になりました/井上順

おみくじで大吉を引いて嬉しかったです。




みなみなさま

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

無事、
友人たちとグラスを囲みながら年を越せることができました。
出張先の台湾で年を越すひとりはテレビ電話で僕らと年を越した。
でも時差あるから向こうはまだ23時だった。
簡単じゃあない。

そして、恒例の山登り(迫間不動っていう神聖な山)も
雪に見舞われながらも果たせました。
年に一度しか会わない友人と
ひとつとして明かりの無い山を1年の総括と新年の豊富を語り合い、
頂上にて寂れた街やねと黄昏れてまた来年もと別れた。

とてもへたくそだ。
そして不幸なことにそれを自覚してる。
更に不幸なことに上手くいくよう努力する気もない。
新年早々傷を舐め合って、
明かりを照らして(ライトで)、
声を掛け合って(転んだら危ないからね)、
自らを追い込んで(下山後いつもアイスを食べる)、
これから始まる1年をこれでもかと睨む。
逃げないように、お互いを見張るために、
こんなやり方しかできないのかもしれないね。

でも君はおみくじ引かなかったけど
僕はなんと大吉やったからね。
今年も僕のほうが充実した日々を過ごせるよう祈るよ。



というわけで、
みなさま本年もどうぞ宜しくお願い致します。

あ、浅草で買ったはいいけどなんかしっくりこないからとほざく僕のために、
帰省先の高山でわざわざ下駄を買ってくれたみなみさん(お友達)、
どうもありがとうございました。
そしてすみませんでした。


それから今年は何かしら活動します(宣言だぞ)。


以下、今年(未年)の年賀状写真 in 岐阜畜産センターです。
寅年から始まったのでようやく折り返しです。

羊の機嫌が悪かったのか全然外に出てこなくて、
なんか変な人おるよ!
と遊びに来ていた子供5人くらいに言われました。








春の海/宮城道雄


「変わった味付けしてみたの」「おお、味噌か」








気が付けばもう大晦日になっていた。

驚くほど一瞬だった。


まずは東京生活、無事終了しました。
どうなることかと思ったり、
どうにもならんと嘆いたりしたけれども、
振り返ればたった数分間の如く、
あっけなくはないけれども、
ともかく終わった。

仕事を通してばかりだけど、
友達や知り合いができ、お世話になり、
約2年で100万円分くらいはご馳走になったりして、
それをこれから返していくのかと思うと少しだけ憂鬱で、
けれども楽しみだったりする。


年明けすぐに引越しをして岐阜に戻ってくる。
そのあとすぐまた旅立つけれど
それはまたその時書こうかな。

良いいことばかりじゃないけど、嫌なことばかりじゃない。
けど良いことばかりじゃない。
けど嫌なことばかりじゃない。
けど、けど、けど、というふうにひたすら回り続けていく。
そんなとき、この「けど」はそんなに消極的じゃないかもなと思ったりもしている。


この2年間、仕事もプライベートもひっくるめて本当に激動で、
乗り切れるかとてつもなくこわかったけれど、
周りのみなさまの支えがあり、
きっちり今年を終えられそうです。
どうもありがとうございました。

来年はいよいよ岐阜にて腰を据えることになります。

バンドはどうなってんだとか言うあなた!
ほんとそうですよね。
前田(RAMBLAR)に貸しっぱなしにしている機材、ようやく返してもらいますね。
それから島さん(サポート)にとりあえずメールします。
早くやりたいけれど、急いではないから、
焦らずそのまんまの僕で変わらず動いていこうと思います。
つーかいい加減誰か朝焼けドラマクラブ入れやコラ。



というわけで、
2014年もお疲れ様でした。
2015年も宜しくお願い致します。




写真、
忘年会兼前田(RAMBLAR)の誕生日会。
ひとりはサイズの合っていない靴。
ひとりはコンドーム。
ひとりはダッチワイフみたいなの。
僕とノリト(RAMBLAR)とてつや(MARIO 2BROCK)からは
昨年あげたハムスターを逃がしやがったので
今度は逃げないやつをと金魚を2匹あげた(けんじとゆみこ)。
すでに来年を不安がっているみたいで嬉しかった。




Catch me if you can/竹原ピストル

サンタかサタンかみたいな。




前田(RAMBLAR)、
前田(無職)、
前田(彼女いない歴=年齢)、
前田(インフルエンザ)、
前田、お誕生日おめでとう。

たぶんお前の両親は、
孫のことで頭がいっぱいでお前のことなんて悪影響くらいにしか思ってないんじゃないかな。

いやそれでも負けるな前田、
俺たち(2、3人やけど)がついてる。


お前への誕生日プレゼント、
ノリト(RAMBLAR)と話してて
勝手に履歴書書いてケーキ屋とかに応募しまくろうと思うんやけど、どうかな。
怒る?
怒らんといて。




クリスマスソング(なんでもいい)




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